四畳半の空

むしの雑記ブログ

A-04 世渡り上手

一通りの買い物を済ませた後、書店に寄ってみることにした。

特に欲しい本があるわけではない。

店主には申し訳ないが、この前出展した展示会の総評を立ち読みしようと思っただけだ。

美術雑誌をパラパラとめくり、展示会の総評記事にだけ目を通す。

特別優秀賞、優秀賞、大会特別賞、大賞、特別審査員賞、知事特別賞、スポンサー特別賞、ナントカ賞、相変わらず賞が多すぎて優劣がよくわからぬ。

ただし、そのどれもが自分に与えられたもでない事だけはわかった。

自信のある作品ほど余り評判が良くなく、さほど思い入れの無い作品ほど評判が良かったりするが、今回は前者である。

 

ところで、この特別審査員長とやらの名前の響きに覚えがあるが、まさか予備校時代の後輩ではないか。

やはりそうだ、ご丁寧に顔写真まで添付してある、こんなだらしない笑顔の持ち主はやつ以外におらぬ。

壊滅的に絵の才能の無い男だったが、人たらしで世渡り上手な男だった。

結局三浪して受験を諦めたところまでは記憶しているが、その後の行方は今日の今まで知らなんだ。

やつが特別審査員長。

人生とはこんなものなのであろうか。

 

店主の冷たい視線を感じながら、さも目当ての本が見つからなかった様な顔をして店を後にした。

妙に腹がムカムカするのは、きっと昼に食べた安い弁当のせいである。

 

 

©2023 MuedShi

 

A-03 譲れない一線

絵の道具を買いに街に出た。

とは言っても、私が使うのではない、週末に開いている児童絵画教室の子供たちに使わせる物だ。

当初は2、3人だった生徒も、決して多いとは言えないが、最近は少しずつ増えてきた。

恥ずかしながら、画家としての本業が芳しくない私にとって、週2回のこの絵画教室が生活の貴重な収入源になっている。

とは言え、場所の使用料と、スタッフのバイト代と、こんな道具代を差引くと手元に残る金は決して多いとは言えない。

だからと言って、子供達に安物の道具を使わせたくはない。

弘法大師も「能書は必ず良筆を用いふ」と言われたではないか。

(※ご存知ない方はググられるべし。)

私の様な腕のある者なら話は別だが、未熟な子供たちは、画が道具の良し悪しに影響される部分が多い。

だからこそ道具をケチるという事は、彼等の可能性をケチることと等しいのだ。

これが画家として、指導者としての、私の譲れない一線である。

とは言え、授業料が高いと不満を言う親もいるのだから、、、

やはり正直者は馬鹿を見るのであろうか。

 

 

©2023 MuedShi

A-02 秋茄子

隣の部屋の婆さんが、秋茄子を3本持って来た。

ナスは路地売りの物か、キズだらけで形も歪み、張りも無ければ色も悪い。

見た目はまるで婆さんそっくりだ。

しかし茎の切り口がみずみずしい、恐らく朝穫れの物だろう。

こないだの礼だと言っていたが、わざわざ今朝買いに行ってくれたのだろうか。

婆さんのその心が妙に嬉しい。

 

さて、こいつをどう食うかだが、

秋茄子は煮たり焼いたりするよりも、あっさりと漬物にするのが一番旨い。

見た目が悪いからと言って、それを隠す事はない。

隠したいものを隠そうとすると、わざとらしくなる。

わざとらしさを誤魔化そうとすると、不自然になる。

不自然さを取り繕うために、また手を加えねばならぬ。

己の尾を追う犬が如く、ぐるぐると回り続けるのならば、いっそ自ら尾を捨て去ってしまう方が良い。

 

という訳で、ナスはずぶりと糠床に埋めてやった。

糠床から顔を覗かせる姿が、益々あの婆さんそっくりだ。

 

 

©2023 MuedShi

 

 

A-01 四畳半の空

生きる。

ただそれだけのことに酷く疲れる人が多い。

果たして私もその一人だろうか。

人はなぜ生きるのか。

 

四畳半の天井にへばりつく名も知らぬ虫にそんな問答を繰り返している。

虫は何言も発さない。

おまけに此方に背中を向けつつ、細い足でポリポリと腹を掻いて見せる。

「とうに解は得ておる、我を見よ」とばかりに。

 

悩みとは、身体の輪郭をなぞるが如く、持ち主の大きさに比例して膨らんでいくものだ。

だからこそ虫や赤子は素直に生きていられる。

いっそわたしも虫のように暮らしてみようか。

 

いざ!と天井にぶら下がろうとしたが、成長し過ぎた身体の重さ、いや、悩みの重さに耐えきれず、四畳半の天井はわたしを道連れにして床へ崩れ落ちた。

 

「虚しい」

 

舞い上がるホコリがあざ笑う様にわたしの視界の中で踊り続けている。

ふと窓に目を向けると、青い春の空にあの虫が溶けるように去っていくのが見えた。

 

わたしも自由になりたい。

悩みなきあの色の向こうへ連れて行って欲しい。

 

 

©2023 MuedShi

ブロッコリー

ここから遠いところで沢山の人が亡くなったと聞いても涙が出ないのは、きっとわたしがその人たちの事を知らないからでしょう。

同じ場所でわたしの大好きな人が同じ運命に巡り合ってしまったとき、わたしはきっと大きな涙をこぼすでしょう。

地球の裏側で起こった悲惨なニュースを目の当たりにして、ある本の『私たちが「死」と呼ぶものには3種類あって、そのうちの1種類の死にしかわたしたちは悲しみを覚えない...』という一節を思い出しました。

 

ところで、急に寒くなりましたね。

終わりなく続きそうだった夏が突然居なくなり、ろくな準備も出来ないまま10月の寒さに追い立てられた身体が風邪を引いてしまいました。

元を糺せば子供達が何処からか貰って来た風邪のはずなのに、当の本人達はすっかり良くなって、飯を作れ、一緒に遊べと、わたしの弱った身体にムチを打つのだから堪りません。

少しは労わってくれよと言いたくもなりますが、先の悲しいニュースを見てしまうと、今日も元気に生きようとしてくれるわが子達の姿が愛おしく思えてしまうのです。

とは言え無邪気を通り越した傍若無人さには腹が立つので、今夜のおかずは茹でたブロッコリーだけです。

 

 

©2023 MuedShi